人生には、なぜか出来事が重なる時期がある。ひとつ越えたと思ったら、また次が来る。
少し落ち着いたと思った頃に、別の課題が現れる。
どうして、次から次に大変なことが起きるのだろう。
昔の私は、それを不運だと思っていた。
平穏で、予測できて、安心できる毎日を望んでいた。
けれど私の人生は、そうはならなかった。
「Maktub(マクトゥーブ)」
——「それは書かれている」という意味の言葉。
それを聞いた瞬間は運命が決まっているようで、どこか息苦しく感じたけれど
少しずつ意味が変わっていった。
出来事が決められている、ということではなく、
必要なことが、必要なタイミングで現れる。
そう考えるようになった。
もちろん、大変な出来事が楽になるわけではない。
痛いものは痛いし、苦しいものは苦しい。
ただ、「なぜ私だけが」と考える代わりに、
「ああ、また来たな」と思える瞬間が増えた。
出来事を敵として見るのではなく、
何かを運んでくるものとして見る感覚。
それだけで、人生の重さは少し変わる。
この言葉を知ったのが、パウロ・コエーリョの『アルケミスト』という本だった。
答えを教えてくれたというより、うすうす感じていたものを、言葉として差し出された感覚。
→ 「アルケミスト」について書いた最初の記事はこちら
それ以来、出来事そのものよりも、
それをどう受け取るかに意識が向くようになった。
この場所では、出来事そのものを書くというより、
それをどう受け止め、どう意味づけてきたのかを書いていこうと思う。
同じ出来事でも、意味は時間とともに変わっていく。
35歳のときに見えていた世界と、56歳になった今の視点は、まったく同じではない。
その変化の記録が、どこかで誰かの小さな灯りになるなら、それで十分。
大変だったことだけを書くつもりはない。
日常のささいな出来事や、自分を少し元気にしてくれた映画や本のことも、
思いついたままに残していくつもり。
これは物語ではなく、ただ続いていく、壮大な日記のようなもの。
もしここにたどり着いた人が、
「どうしてこんなことばかり起きるんだろう」と感じているなら
もしかするとそれは、
意味がまだ追いついていないだけなのかもしれない。
Maktub。必要な時に必要な事が起きる
そう思えたとき、
人生は少しだけ違う形に見え始めるのだと思う。
