怖いこと — 老化に抗うのか、受け入れるのか

最近、ちょこちょこと気づくことがある。
以前はできていたことが、できなくなってきている。

声が出ない。
音が取れない。
動きが遅くなっている。
その他いろいろなこと。

ひとつひとつは小さいことなのに、
そのたびにショックを受けている自分がいる。

こうやって並べてみると少し大げさな気もするし
まだできていることのほうが多いんだけど
「こんなこともできなくなったのか」と思うたびに
昔の自分との距離を測ってしまう。
そしてその距離に戸惑ってしまう。

これを「老化」と呼ぶのだろうな。
頭では分かってる。
年齢を重ねれば変わっていくのは当たり前だし、
誰にでも起こることだということも。

抗うべきなのか?

練習すれば少しは戻るのかもしれない。
努力すれば維持できるものもあるのかもしれない。

でも、その一方で思うこと。

どこまで抗う?
どこから受け入れる?

全部を取り戻そうとするのは少し違う気がするし、無理なのも分かってる。
でも、何もせずに受け入れるのも、ちょっと違う気がする。

このあいだ書いた「怖さ」と、
どこかでつながっている気もする。

できなくなっていくことそのものよりも、
それを見せることや、それによって誰かをがっかりさせるかもしれないこと。
あるいは、自分自身が、自分にがっかりしてしまうこと。

結局、怖いのは、変化そのものじゃないのかもしれない。
変わっていく自分を、どう扱えばいいのか分からないこと。

抗うことと受け入れること。

たぶん、その二択じゃないはず。
できることはやってみる。
でも、できなくなったことも否定しない。
そのどちらも、同時にあっていいのかもしれない。

きっと10年単位でこの怖さと向き合っていくことになるんだろうな。
10年後、どうなっているか、どう感じているか。
そこに向かう途中にいるのだと思う。

Maktub — 必要な時に必要な事が起きる

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