なぜ私は『アルケミスト』を何度も読み返すのか

パウロ・コエーリョの『アルケミスト』は、
「これは何度も読むことになる」と直感した本だった。

私は37歳くらいだったと思う。初めて読み終えたとき、感動したというより、
どこか静かに「これだ」と思ったのを覚えている。

物語の内容を完全に理解したわけではないけれど
自分がずっと感じていた何かが、そこに書かれていた気がした。
説明できないけれど、確かに知っている感覚。

当時の私は、人生の出来事の多くを「問題」として受け止めていた。
どうしてこんなことが起きるのか。なぜ落ち着く前に次が来るのか。
終わりのない課題のように感じていた。

けれど『アルケミスト』を読んだあと、出来事の見え方が少し変わった。
出来事は、ただ乗り越えるものではなく、何かを運んでくるものなのかもしれない。


作中に出てくる「Maktub」という言葉。「それは書かれている」という意味だと知ったとき、
最初は運命論のようにも感じたけれど
読み進め、そして読み返すたびに、その意味は少しずつ変わっていった。

決められている、というより、
必要なことが必要な時に現れる、という感覚に近い。

だから私は、この本を何度も読み返している。
人生が落ち着いたから読むのではなく、揺れたときに戻る場所として。


『アルケミスト』は、答えをくれる本ではないけれど、
出来事の受け取り方を静かに変える力があると思う。
そして読むたびに違う場所が心に残る。
読む側の時間が、本の意味を変えていくのだと思う。

もし今、起きている出来事の意味がわからなくなっているなら、
この物語は、ひとつの視点をくれるかもしれない。
そんなときに、手に取ってみてほしい一冊だと思う。


この考え方は、その後の人生の中で何度も実感することになる。
出来事がただ起きるのではなく、流れの中でつながっていく感覚。

その流れが、大きく動き出したと感じた出来事がある。
43歳の正月、猫が死んだ日。私は、人生を変えようと思った。
Maktub — 必要な時に必要な事が起きる


アルケミスト 夢を旅した少年 – パウロ・コエーリョ
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