パウロ・コエーリョの『アルケミスト』は、
「これは何度も読むことになる」と直感した本だった。
読み終えたとき、感動したというより、
どこか静かに「これだ」と思ったのを覚えている。
物語の内容を完全に理解したわけではないけれど
自分がずっと感じていた何かが、そこに書かれていた気がした。
説明できないけれど、確かに知っている感覚。
当時の私は、人生の出来事の多くを「問題」として受け止めていた。
どうしてこんなことが起きるのか。なぜ落ち着く前に次が来るのか。
終わりのない課題のように感じていた。
けれど『アルケミスト』を読んだあと、出来事の見え方が少し変わった。
出来事は、ただ乗り越えるものではなく、何かを運んでくるものなのかもしれない。
作中に出てくる「Maktub」という言葉。「それは書かれている」という意味だと知ったとき、
最初は運命論のようにも感じたけれど
読み進め、そして読み返すたびに、その意味は少しずつ変わっていった。
→ 「Maktub」について書いた最初の記事はこちら
決められている、というより、
必要なことが必要な時に現れる、という感覚に近い。
だから私は、この本を何度も読み返している。
人生が落ち着いたから読むのではなく、揺れたときに戻る場所として。
『アルケミスト』は、答えをくれる本ではないけれど、出来事の受け取り方を静かに変える力があると思う。そして読むたびに違う場所が心に残る。
読む側の時間が、本の意味を変えていくのだと思う。
もし今、起きている出来事の意味がわからなくなっているなら、
この物語は、ひとつの視点をくれるかもしれない。
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私にとって『アルケミスト』は、
人生を導いた本というより、
人生の途中で何度も立ち戻る場所になっている。
