16年前40歳の私の過去投稿
2010/07/04
父が亡くなりました。87歳でした。
小さいころからたくさんの苦労をしてきたと聞きました。
アルコール問題のある父親のいる家庭で
長男として弟、妹の面倒を見て育った子供時代。
戦争と共にあった青春時代。
入隊検査時には、体が小さいことに大きな劣等感を感じ、
結核を患ったために行くことのできなかった前線。
部隊の仲間は帰ってこなかったそうです。
以来、ずっと強烈に感じ続けていたSurvivor's Guilt。
戦後は日本の戦後補償のため、
ビルマ(ミャンマー)、マレーシア、インドネシアで発電所(ダム)建設に携わりました。
賠償として行なったことなのに、
現地の人たちにとても感謝してもらえたそうです。
のちに、認知症になってしまったときにも
もう一度ビルマに行ってみたいと言っていました。
遅い結婚でしたが父が48歳の時に長女の私、そして、続けて年子の次女が誕生。
しかし、8年後妻と死別。(胃がんのため)
以降、男手ひとつで私たちを育ててくれました。
退職後は自身のアルコール問題が表面化。
思春期の娘たちとの関係も悪化していきます。
そんな中、バイクで交通事故を起こしますが、命は取り留めます。
長女の私が20歳で結婚、翌年生まれた初孫に対し、
それまで見たことのないような愛情の注ぎ方をしてくれました。
責任を持たなくていい孫に対しては、絶対的にかわいっかったんですと。
そうか、責任のある「私たち」に対して、どおりでものすごく厳しかったわけです。
「お母さんがいないからしょうがないわね」と世間から言われないように
必死で躾けてくれたんですね。
1歳半の孫を連れて私が地方へ引っ越したあと、
父のアルコール摂取量はますます増えていきます。
数年後、酩酊状態で階段から転落したことをきっかけに
一気に痴呆状態となってしまいました。
2年間の在宅介護ののち、地元のグループホームに入所することができました。
以前の、気難しい父とは別人のほがらかな、やさしい、かわいいおじいちゃんは
皆さんにやさしくお世話していただき、支えられ、
あたたかい8年間を過ごすことができました。
急性肺炎で入院後18日目に息を引き取りました。
そこは、以前交通事故で運ばれたあの病院。
あの時から23年間の延長戦でした。
23年前に死んでいたら、
今、私はこんなやさしい気持ちで父を思い返すことは
できなかったでしょう。
23年前だったら、父は、苦しい、つらい、寂しい気持ちのまま死んでしまったでしょう。
私にとっても、父にとっても、大事な大事な23年間でした。
父の人生のほんのほんの一握りですが、
ネット上に残しておきます。
大変な人生だったね。
お疲れさま。
映画『ビッグ・フィッシュ』を観ると父を思い出す
Maktub — 必要な時に必要な事が起きる