回避型とは?愛するのが怖くなる理由を自分の体験から考えてみる

最近、「回避型」という言葉をよく見かける。

人との距離を取りたくなるとか、
近づくほど離れたくなるとか、
そういう傾向のことを指すらしい。


この言葉自体はずっと前から知っていた。

30歳くらいの頃からしばらく
カウンセリングやサイコドラマに通っていた時期があって、
そのときに心理学の本や記事をたくさん読んでいた。

その中で、「ああ、私はこれに当てはまるかもしれない」
と思ったけれど認めたくなかった。
「回避型」って言葉、
どこか「ひどい状態」とか「問題がある人」みたいに感じてしまったから。
自分はそんなにひどい状態じゃないと思いたかった。

それでも、今振り返ると
昔から似たような動きはずっとあった気がする。

大事な人ができてから少し時間がたって、
その関係が安定してきたころに、不快感や怒りが湧き上がってくる。

うまくいっているはずなのに、
小さな喧嘩が起きたり、違和感や問題が見え始めると、
そこに引っ張られるようにネガティブな感情が大きくなり、
問題がさらに膨らんでいく。

本当は不安、怖いんだろうけど
私の場合、それはだいたい「怒り」として出てくる。

そして、その感情に耐えきれなくなる前に、
自分から距離を取ろうとしたり、投げ捨てたくなる。

いや、自分自身で無意識に問題を大きくして
離れる理由を作ってきたのかもしれない。
そもそもそんなに好きじゃなかったのかもしれない
とまで思い込もうとする。

そういえば、映画を見ていて、
「あ、私もこれかも」と思ったこともある。

グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち の主人公が、
人と近づきそうになると、わざと関係を壊してしまう場面。
この映画については、別の記事でも少し書いている

あのときは少し誇張されているようにも見えたけれど、
でも感覚としては、とてもよく分かった。

一般的には、回避型は「愛着スタイル」のひとつで、
育った環境などの影響で形成されるとも言われているらしい。
ただ、これはあくまでそういう考え方もある、という話で、
私自身が専門的に理解しているわけではない。

子どもの頃に経験した別れや喪失が強いほど
「もうあんな思いはしたくない」と思う。
そうすると、そもそも深く関わらなければいい、という方向に
無意識に動くようになるのかもしれない。

9歳の頃に母を亡くした私はその時
「うるさいお母さんがいなくなってせいせいした」と
思っていた。思い込もうとしていた。

近づくほど、失う未来が先に見えてしまう。
だから、その前に離れてしまえば安全。
頭で考えているというより、
体が勝手にそう反応している感じに近い。

この年になって、やっと少しだけ認められるようになってきた気がする。
これは「弱さ」ではなくて、
長い間、自分を守ってきた反応なのかもしれないということ。

この反応は、なくすべきものというより
「扱い方を変えていけるもの」なのかもしれない。

怖いと感じること自体は、たぶん変わらない。

でも、怖いからといってすぐに壊してしまうのではなくて、
「怖いけど、そのままにしてみる」ということもできるかもしれない。

まだうまくできているわけではないけれど、
少しずつ、その感覚を試しているところ。

※この記事は、専門的な定義ではなく、あくまで自分の体験から感じたことをもとに書いています。

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